お好み焼きひらのメニュー
   
●ひらの日記
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2007年1月8日(月)
久しぶり。。
しばらく日記をお休みしている間に、年も明けてしまいましたが、皆さん風邪など引かずによいお正月を迎えられたでしょうか。日記を楽しみに待っていいてくれた皆さん、長い間休んでいましたが、また毎週書いていこうと思っているので、これからも仕事や勉強の合間にでも読んでくださいね。

最近嬉しかったことといえば、今年は皆実高校サッカー部がベスト8まで進んだことで、みんな本当によく頑張ったと思う。ちょうど営業中だったので、店のお客さんと一緒にテレビで大盛り上がりで応援したけど、あと一息じゃったね。サンフレッチェサポーターの清水さんも広島出身じゃないけど広島が大好きで、皆実の応援にずっと行ってくれたそうで、ありがとうね! また今年もよろしくお願いします。<(_ _)>

さて「お好み焼きひらの物語」の続きです。

開店初日はへこんだけど、その後は思いもよらず、徐々にお客さんが来てくれるようになってきた。中でも「パレフローラ」という造花を造る会社の人たちが、毎日足を運んでくれるようになったことが印象に残ってる。(今も変わらずひいきにしてもらってありがとうございます)そうして開店からの3年間は365日1日も休まず、お好み焼きに取り組んだけど、開店後2ヶ月くらいして、何か変わったお好み焼きが焼いてみたいと考えるようになった。そこで、「そば」の代わりに「ご飯」を入れることを思いついて、絶対みんな食べてくれると信じて早速売り出したけど、「ご飯のお好みなんて欲しゅーない、気持ち悪い」と言われ、不評だらけで1日1枚も売れない日が続いて散々だった。そこでもう一度考えて、「そばとご飯」を一緒に入れてみようと思い、また学生たちに1週間くらい試食で振舞ったら今度は好評で、たちまち「そばライス」として口コミで学生たちに広まっていった。メニューにも正式に加え、ここでさらにトッピングも一工夫して、「ご飯がありなら納豆もありよ」と思ってトッピングメニューに「納豆」を加えると、自然にお客さんが「そばライ納豆」と言って注文してくれるようになり、「そばライ納豆」は「ひらの」の看板メニューとして定着した。だけどお客さんが増えてきたら、隣のお好み焼き屋のおじさんが「そこの店に入るな」とお客さんに言うようになって、私は「まあお好み焼きの先輩だし、古いお店なので喧嘩したくないな」と思い、ずっとだまっていた。今思えば我ながらよく辛抱したなあと感心している。今でもあの時のおじさんの顔が目に浮かぶよ。。。(次回に続く。。お楽しみに)
2007年1月15日(月)
続き。。
「お好み焼きひらの物語」の続きです。

隣のお好み焼き屋のおじさんの営業妨害も何のその、私は知らんぷりで石の上にも3年と思って辛抱してたけど、思いもかけず2年でかなりお客さんがついてくれた。とにかく辛抱の3年まであと1年もあると思ったら、自信がついて毎日働くことが楽しくて仕方なくって、たった一人で年中無休営業も全然苦にならなかった。「ひらの」には特に学生のお客さんが多く来てくれて、医大生や高校生のお客さんが中心になっていた。でも店の近所は道幅が狭く、自転車での来店が多いせいで車が通れなくて、たくさんの近所迷惑をお掛けしたのは申し訳なかった。<(_ _)>

お客さんが増えてくると、開店時に購入した既製品の鉄板では鉄板の厚みが薄くて、焼く枚数が多いと温度が下がって美味しいお好みが焼けなかったので、3年目に奮発して新しく分厚い鉄板を、開店資金と同じ100万円で特注して入れ替えることができた。この鉄板は今でも使ってるもので、「ひらの」の味を支えてくれる私の「生活の命」じゃね。(^_-)

それまで開店から一人っきりで店を切り盛りしてきたけど、その頃にはさすがに一人では無理になってきたので、鉄板入れ替えと同時にパートさんの募集をしたいと思ってた。そしたら店の近所の奥さんが手伝ってあげると言ってくれたので、その人に来てもらうことにした。この初代パートさんはそれから13年間も一緒に「ひらの」を手伝ってくれたんだけど、まあ、気ままな私に付き合って、時にはけんかもしたけど、よく辛抱してくれた。お客さんからも「おばちゃんとはええコンビよ(笑)」と言われ、よくからかわれた。

徐々にパートさんも慣れてきて、1、2枚ならお好みが焼けるようになったので、私の昼食休憩の時にしばらく代わりに焼いてもらっていた。ところが、その頃からだんだんお客さんが少なくなってきて、どうしたんじゃろと思っていたら、馴染みの医大生が「おばちゃん、【パートタイム】って知っとる?おばちゃんが焼いてない時間帯のことをみんなが【パートタイム】じゃゆうて、食べに行かんのよ。」と教えてくれた。それ以来、お好みはどんなに忙しくても私が焼かんといけんのじゃと思い直し、他の誰にも焼くのを手伝わせないようになったんだけど、それは「ひらの」のポリシーとして今も続いてる。。

でも店が繁盛するにつれて、他店のいやがらせもひどくなってきた。ある日突然、店の前に「仏壇」が置いてあって。。。(次回に続く。。お楽しみに)
2007年1月22日(月)
4492応援ノート
ケミファンの「うめこ」さんからのメールで、東京の亀有にある川畑君行きつけのもんじゃ屋さんに「要っち応援ノート」が置いてあるので、広島でも今週末のイベントライブの時、堂珍君が好きなお好み焼き屋ということで「ひらの」に堂珍君の応援ノートを作って持って来てくれるそうなので、「4492応援ノート」と名付けて置かせてもらうことにしました。是非是非ケミファン同士でコミュニケーションをはかりましょう!!

ところで私はいつもサンフレ選手のホームページを見るのが楽しみなんじゃけど、最近「森崎兄弟」のホームページが有料になってしまって、私は会員になってないので一部しか見れなくなってしまったのが、ちょっと残念。でもケミクラ年会費より高いのはどうなんじゃろー。なんで有料にする必要があるんかね? サッカーファンは試合を見に行くだけで結構お金を使ってくれてるのに。。もっともっとサッカーファンを増やしたいのに。。私だけの考えじゃないと思うけどね。。

さて「お好み焼きひらの物語」の続きです。

毎朝8時半には開店準備をすることにしているので、今日も忙しかったらええなと思いながら店の前に着いたとたん、ドアの前に仏壇が置いてあってびっくり!「えーどこの仏壇じゃろ?」と近所の人に聞いたけど最初は誰も教えてくれなかった。どうしようと思っていたら、何軒か先の人が「この仏壇はすぐそこのお好み○○ちゃんとこの仏壇じゃない?」と教えてくれた。私はすぐにその店に行き、持って帰るように言ったけど、いつまでたっても取りに来ない。仕方なく私がその店の前に持って行って、黙って置いて帰った。

その頃季節は春だったので、半間しかない私の最初のお店の入り口のドアはずっと開けっ放しにしてたんだけど、今度は○○ちゃんが嫌がらせに小石を店の中に投げ込むようになった。さすがに私も堪忍袋の緒が切れて、とうとう開店以来初めての喧嘩をしてしまった。でも後で聞いたら、○○ちゃんは少し頭がおかしくなっていたらしく、うちだけじゃなく別の家にも悪さをして、最後には警察沙汰になって、お好み○○ちゃんの店も閉店してしまった。近所のお好み屋が1つ減って、私は正直やれやれと少しほっとした。(-_-;)

それからその頃にケーブルテレビから初めての取材申込があって、私は喜んで引き受けた。。。(次回に続く。。お楽しみに)
2007年1月29日(月)
サンフレキャンプ
いよいよ2月1日、サンフレ選手は初の海外キャンプでトルコに行く。トルコでは練習試合をたくさんして、強くなって帰ってきて欲しい。東京の清水さんはトルコまで応援ツアーに行くそう(+_+)なので、しっかり応援してきてね。

ところでケミファンの「うめこ」さんに持ってきてもらった「4492応援ノート」に、たくさんの書き込みありがとうね。1日で21人もの人が思い思いに堂珍君へのメッセージなんかを書き込んでくれました。V(^o^)V 何年たってもずっと同じファンがたくさんいて、「ケミストリー」ってやっぱりすごい人気だなあとうれしくなった。この応援ノートが何冊もたまるよう、ずっとずっとみんなで応援していきましょう!
そうそう、昨年5月に福岡でのコンサート帰りにわざわざ店に来てくれたケミファンで、なんと台湾からの追っかけだと教えてくれた「李鳳翔?」(LEE FENG LING)さんが、21日の大阪コンサートの帰りにまたわざわざ食べに来てくれて、ちょっとびっくりしたけどとってもうれしかった。そうとうのケミファンだよね。(笑)

さて「お好み焼きひらの物語」の続きです。

ケーブルテレビの取材では「そばライス」が取り上げられて、1週間もずっと同じ番組を放映してくれた。その時のビデオがあって、今でもたまに見ることがあるけど、テレビに出るという初めての経験で、緊張しまくってる様子が1週間も流されたのは、今思えばちょっと恥ずかしかった。この取材で御世話になった五反田さんと藤本さんはその後、結婚されて可愛い年長さんの男の子と一緒に今もお店に顔を出してくれていて、奥さんの五反田さんは今「Pステーション」などのラジオ番組やその他のメディアで活躍されている。

1週間の放映中から、物珍しさで「ご飯入りのお好みちょーだい」と注文してくる新規のお客さんが増えた。「テレビのチカラってすごい」と思い「レギュラーでずっとテレビに出れたらいいのになあ」とその時つくづく思った。。

店は学生さんで毎日にぎわっていて、この頃になると隣のお好み屋のおじさんを含め、誰も嫌がらせや文句を言わなくなってきたので、逆にちょっと寂しいくらいになった。(^_-) 今でも当事の卒業生がよく来てくれるけど「ああ、頭を下げ続けて我慢して本当に良かった!負けて勝つという言葉通りだな」と思う。

でも、徐々に自分の思う通りにことが運ぶようになりつつあって、喜んでいたのもつかの間、今度は火事騒ぎがあって。。(次回に続く。。お楽しみに)
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